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銭湯検定3級問題 [銭湯]

会場は学習院大学(目白)。第1回目ということもあり2教室での試験。受験者は300名前後か?
帰りに問題の持ち出しは出来ません。
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問題の概要は
【設問1】「慶長見聞録」
【設問2】「銭湯の背景画」
【設問3】「入浴の歴史」
【設問4】「入浴の体に関わる影響」
【設問5】「昨今の銭湯事情」
【設問6】3択問題
【設問7】「銭湯の地方の特徴」
【設問8】「廃銭湯のその後」
【設問9】「浮世絵・川柳」

問題(思えている範囲)
【歴史編】
 《銭湯のルーツ》
・施浴伝説の舞台は法華寺浴室は現存して重要文化財に指定(誤:国宝に指定)。
・源頼朝が後白河法皇の追福として1日100人100日施浴を行った。
・釜風呂の代表的なものに京都の八瀬の蒸風呂があります(誤:奈良にある)。
・秀吉のお風呂は飛雲閣にある黄鶴台にある(正)。
・秀吉のお風呂は西本願寺に移築された(大阪城・東本願寺・西本願寺の3択)。
 《江戸銭湯事始》
・江戸最初の銭湯は、銭瓶橋のほとりに建てた(正)。
・江戸最初の銭湯は、徳川家康、江戸入城の翌年に立てられた(正)。
・裕福な豪商といえども家に浴室を持たなかった(誤:家に浴室を持った)。
・石榴口は江戸では破風屋根もあるが鳥居形が多く、大阪はおおむね破風屋根。
・石榴口は大阪の方が江戸より入り口が高い。
・入込み湯では暗いがゆえに風紀上の問題がたびたび起きた(3択)。
・堀丹後守の屋敷の前に数軒の湯女風呂があり、俗に「丹前風呂」といわれた。
・風呂桶を担いで行っては人通りの多いところなどに置き、木陰などで入浴させるようにした移動式銭湯が「荷に水風呂」(絵を見てその内容を判断)。
・行水は遊里では「月経」の隠語として使われていた(正)。
 《銭湯文化発展》
・男女混浴を「入込み湯」あるいは「打ち込み湯」と呼んでいた(正)。
・湯屋の2階を利用できたのは男性だけでした(3択)。
・江戸の銭湯に備え付けていたものに「毛切り石」「櫛」「爪切ハサミ」などがあった(3択)。
・薬湯は五木八草が用いられました。そば粉、米ぬか等。
 《湯屋の風景》
・銭湯の看板で「弓射る」を「湯入る」にかけた語呂合わせにした。
・紋日にはお客はいつもより多目のおひねりを持参した。
・上がり湯に使うきれいな湯の事を「岡湯」と呼んだ。
・銭湯では回数券のような「湯札」を売っていた。
 《湯屋で働く人々》
 《明治以降の銭湯》
・改良風呂は現在の銭湯の構造に近いものでした。浴槽の覆いがなくなってため頭が寒いと感じたようです。
・ルース・ベネディクトは銭湯を「一種のの受動的な沈黙の芸術」とよんでいた(3択)。 

【建築編】
・東京に宮造り銭湯が現れるのは、関東大震災(大正12年)後(3択)。
・豪華な折上げ格子天井と呼ばれる重厚な造りになっている(誤:打ち上げ式)。
・唐破風は日本独自なもので、鎌倉時代に生まれた(誤:中国)。
・番台の高さは東京では1m30cmで東京以外の地方より高い(3択)。
・タイル絵には絵師「章仙」「春山」「陶山」などがある。
・全国銭湯事情
  北海道―モダンな洋風建築(大正湯)
  関西―大阪:踏み込み
  中部―高山:京都の町屋造りの銭湯も多い(桃の湯)
  九州―鹿児島市内の銭湯の多くが天然温泉銭湯
  沖縄―脱衣場と浴室の間に戸がない

【雑学編】
・「シャボン」はスペイン語の「Xabon」がなまってポルトガル語の「Sabon」から来ている(正)。
・全国の銭湯の40軒に1軒が「松の湯」だといいます(誤:10軒に1軒)。
・懐かしい銭湯(組み合わせ)
  東京型銭湯―子宝湯
  明治時代の銭湯―半田東湯
  とんかつ「まい泉」―神宮湯
  スカイ・ザ・バスハウス―柏湯
  離楽庵WOOD-INN―藤の森湯
・銭湯の初代経営者には北陸3県(富山・石川・福井)の出身者が多い(3択)。

【資料編】
・近年はガスを使用する銭湯も増えてきている(正)。
・現在銭湯の件数は6000件(誤:****件)。
・各県別で銭湯が10件以下の県がある(誤:10件以下の県は無い)。
・中人とは6歳以上12歳未満の者(誤:中人とは中学生のこと)。
・入浴料は物価統制令の規定に基き、各都道府県知事が決定する(正)。

配点は設問は75問で設問6の25問が2点それ以外は50問は1点。

帰りに、銭湯タオルとメグミルクを頂きました。
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